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吉原食糧株式会社
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第149回 2004/7/6 放送さぬきうどん 至高のうまさとは

NHK出版 プロジェクトX 挑戦者たち (25) ~勝利への疾走~
「さぬきうどん 至高のうまさとは」(ISBN4-14-080886-1) より抜粋

平成10年(1998)年。香川県の呼びかけで、県下の人々が結集する研究会『県産うどん開発研究会』が発足した。前代未聞の「うどんプロジェクト」。
製粉業者、製麺業者、生産団体、学識経験者等々が集まり、様々な角度から新品種の小麦を検討するというものだった。

参加するメンバーはみな同じ思いだった。親の代から製粉業をこの地で営む吉原良一も、そんな一人だった。吉原も以前から地元の小麦を少しでも多く流通させたいと願っていた。吉原はその思いを次のように表現する。

「自分が生まれた讃岐でとれた小麦というのは、消費者の方にわれわれが届けて当然だという気持ちもありますんでね。讃岐においても、おそらくは1500年以上の小麦の歴史というのがあって、絶えることなくずっと続いてきてるはずなんですね。戦前はいまの10倍以上の生産量がありましたし、脈々と続いてきた。われわれの土地でつくられた穀物なんですよね。非常に大事な食文化でもあるし大切にしたいという思いがあります。

あと一つは食糧自給率ということ。いまわれわれは何千キロも海のかなたのアメリカ、カナダ、オーストラリアから小麦を運んできて食べさせてもらってますけど、やはり自分たちのそういう大事な穀物を、ずっと育てつづける、維持しつづける、あるいはもっと振興するということ、これは小麦関係に携わる業界としてやるべきことだろうと思ってます」

かつて吉原は国産小麦品種を小豆島の農家に頼み込んで栽培してもらい、製粉し国産麦の消費を少しでも増やしたいと挑んだこともあった。そうした地元小麦に対する独自の活動を続けてきた吉原にとって、今回の研究会の発足は願ってもないものだった。吉原は当時を振り返ってこう言う。
「やはりいろいろな立場の意見が出ますから、それはお互いにすごい勉強になったんじゃないでしょうか。一つのものを開発するという手段としては、ものすごく有効だったと思いますね」

製粉の吉原良一も香育7号の出来に驚いた。吉原の場合、かつての地元の粉との共通性以上に、より新しい可能性を香育7号に感じていた。 「これはすごくよく練られた完成度の高い小麦粉だと思いましたね。戦略性がはっきりしている。うどんを見たときに、もう従来の内麦(国産麦)の考え方ではつくられてないなというのは直感しましたですね。だからオーストラリア(の“ASW”)に近い。同じとはまだいえませんけどもね、その方向性ははっきり伝わりましたね。」

父の代から製粉業を営む吉原良一も、同じ考えだった。小麦がこびりつきやすいなら、製粉の仕方の工夫で克服すればよいではないか。自分たちの先祖たちは太古からこの地で小麦を挽いてきたのだ。近代技術を手にした俺たちにできないはずはない。弱点があることで否定的に見るよりも、その長所を大切にすることのほうが優先されるべきだ―。

「平均点をとるということをめざすよりは、独自性をめざす。そのためには目標をはっきり決めて、それに向かうっていうことですよね。仮に弱点が出たとしても、それをどうカバーするかっていうのは業界で取り組めばいい」
さっそく挽いてみた。

数日後、出来た粉は機械にこびりつかなかった。手に取り、色を見た。あっと思った。明るい白に加え、食欲をそそるイエローがかかっていた。吉原は思った。
「クリーミーな黄色。絶対新しいものが生まれる。間違いなく」

試験場(香川県農業試験場研究員)の多田伸司は、最後の勝負に出た。
「香川県人がうまいと思わなければ、このうどんの将来はない」―― 県内一斉アンケート調査を行うことを考えた。

製粉業の吉原も、アンケートの結果にうれしさと驚きを感じていた。
驚きとは、「懐かしい」という表現を年配の人だけでなく、若い年齢層も使っていたからだった。
「評価はすごく高かったですよね。やはり一つはね、「懐かしい」っていうね、そういう感想が多かったんですよね。若い方も「懐かしい」って。
不思議に思うんですけど、やっぱりそれはわれわれが持ってるもんかもしれませんね。
特に讃岐の人が持ってる、ずっとそういうのになじんで食べてきたっていう、何かそういうものがあるんかもしれないなと思ったりして。」

讃岐の人々一人ひとりに脈々と受け継がれてきた、うどんへの愛情。
それが、“さぬきの夢2000”への「懐かしい」という評価につながったのかもしれない。

NHK出版 プロジェクトX 挑戦者たち (25) ~勝利への疾走~
「さぬきうどん 至高のうまさとは」ストーリー

馥郁(ふくいく)たる小麦の香りともちもちした歯ごたえ。なめらかなのどごしのさぬきうどん。うどん生産量日本一の香川が全国に誇るふるさとの味である。

昭和30年代まで、6月の香川の農村では、見渡す限り黄金色に輝く光景が見られた。前年の秋にまいた小麦が実り、収穫期を迎えるからである。

しかしそんな状況が一変したのは、昭和38年。いつ降りやむとも分からない記録的な長雨が収穫時期の6月に続き、小麦は壊滅する。間もなく、海を越えて日本に運ばれてきた小麦があった。オーストラリア産の小麦だった。この小麦は、うどん用に極めて適していた。純白の色目、コシ、つや。しかも大規模に栽培されるため、品質にばらつきが無く安定しているのも大きな魅力だった。瞬く間に香川にもオーストラリア産小麦が浸透していった。オーストラリアの小麦で作ったうどんは消費も伸び、香川のさぬきうどんは全国的に有名になった。

しかし、うどん職人は何かもの足りなかった。それは、風味だった。かつて子供の時代に食べた地元の小麦だけがもつあの香りが、オーストラリア産にはどうしてもなかったのである。「香り高く、しかもオーストラリア産に負けない品質の、県独自の小麦を開発して欲しい」うどん職人は組合を通じ県に要望書を出す。その熱意はやがて県を動かした。

平成3年、香川県農業試験場で小麦の開発が始まった。リーダーは農業研究員の多田伸司。メンバーは2名。小麦の交配作業が始まるとふたりとも花粉で重度のアレルギーとなった。涙を流しながら多田たちは4000種類以上の品種候補を育てる。

それから数年間をかけ、味を見るなど候補を絞るための選抜作業を繰り返していった。平成10年、多田は最終候補となった小麦を、地元の製粉業者やうどん職人に披露する。皆、その小麦の持つ馥郁(ふくいく)とした小麦の香りに圧倒される。ところが、同時に難点が露呈する。

「ふるさとの小麦を完成させろ」農家、試験場職員、製粉業者、うどん職人。理想のさぬきうどんを目指した人々たちは力を合わせ、最後の難関に挑む。

「ふるさとの味」の小麦開発にかけた人々の10年にわたるドラマを描く。

◆ 平成3年
「香川県独自の小麦を開発せよ。」
香川県農業試験場多田伸司をリーダーにプロジェクトは始まった。


◆ 平成12年
新品種小麦が選ばれた。名前は「さぬきの夢2000」と名付けられた。

◆スタジオ写真